奇跡講座 要点まとめ
- 2022/06/16
テキスト編
P67
すべての思考は何らかのレベルで形を生み出す。
P72
最良の防衛は、常に、相手の立場を攻撃することではなく、真理を擁護することである。
P109
あなたが最もよく学べるのは、自分が学ぼうとしていることが自分にとって価値があると、自分で信じているときである。
P139
怒りは常に分離の投影を伴うが、それは究極的には自分の責任として受け入れられるべきものであり、他人のせいにされてはならない。自分が攻撃されたと信じ、それに対する反撃が正当化されると信じ、そのことに自分は何の責任もないと信じているのでない限り、怒りが生じることはあり得ない。
P147
聖霊はあなたの全一な心を神に返すようにとあなたに告げる。それはもとより一度も神を離れたことがないのなら、それがもとに戻るためには、あなたがそれをありのままに知覚しさえすればよい。
戻ることが必要だという考え方ならば、自我は受け入れることができる。というのも、いとも簡単にその考えを難しいものに見せかけることができるからである。だが聖霊は、戻ることさえも不要であると、あなたに告げる。それでもあなたは、戻るという考えを必要かつ難しいものにしてしまうことができる。だが、完全無欠な者が何も必要としないのは、もちろん明らかである。そして、完全無欠性はあなたの本性なのだから、あなたは完全無欠性を達成困難なものとして経験することはできない。
P200
教師としての自我はまったく混乱しており、混乱をもたらすのみである。そのような教師が教えることは何であれ完全に無視することこそが、理に適うのではないだろうか。
P235
あなたに任されているのは、兄弟を変えることではなく、彼をただありのままに受け入れることである。誰かの中に誤りを知覚し、それが実在するかのように反応するなら、あなたにとってはそれが実在のものとなる。彼の誤りを実在のものとして受け入れるなら、あなたは自分自身を攻撃したのである。あなたの道を見出し、それを保ちたいのなら、自分の傍らに真理だけを見ていなさい。
P318
あなたが外側を見て、そこに見えるものに好意的ではない反応をするときはいつでも、あなたは自分自身を卑しむべきものと判断し、自分自身に死刑の宣告を下したということである。
P348
聖霊はあなたがもつ必要のある一切をあなたに与え、あなたがそれらを必要としている間は、それらを補給し続ける。
P349
世界があなたの前に心の平安を脅かすさまざまなものを置いても、聖霊があなたを安全に導き、一切のものを通り抜けさせてくれるという信を抱いていなさい。
P352
兄弟たちを自分自身として見るようになったとき、あなたは智識へと解放される。
P394
自我とは単に、考えているように見えるだけのものである。
P401
何のためであれ、自我を頼みとするのはやめなさい。それだけが、あなたがすべきことである。
P466
真理から離して一つの考えでも自分に取っておいてはならない。分離からの救済は完全なものであるか、まったく存在しないかのどちらかである。これを達成させたいという自分の意欲以外には、何も気にかけずにいなさい。
P505
あなたの外側には何も存在しない。それが、あなたが究極的に学ばなければならないことである。
P543
メッセージは自分自身に送られることになると理解したなら、誰が憎しみや攻撃のメッセージを送りたいと思うだろう。誰が自分自身を責め、有罪とし、罪の宣告をしたいだろうか。
P580
投影が知覚を作り出す。あなたに見えている世界は、あなた自身がそこに与えたものであり、それ以上のものではない。それはあなたの心の状態を証(あか)しするものであり、内的状況の外的映像である。人はその心に思うごとく知覚する。だから、世界を変えようとするのはやめなさい。そうではなく、世界についてのあなたの心を変えることを選びなさい。知覚は結果であって、原因ではない。
P584
ただ次のように言いなさい。
私が見ているものについての責任は、私自身にある。
私が経験する感情を選択するのは私自身であり、私が達成したいゴールを決めるのも私自身である。
そして私の身に起こるかに見えるすべては、私が求めて、求めた通りに受け取るものである。
P630
あなたの周囲にあるもので、あなたの一部でないものは一つもない。それを愛をもって眺め、その中に天国の光を見なさい。
P754
夢の中で兄弟の間違いについていつまでもこだわり続けずに、代わりに兄弟からの親切の数々についての夢を見なさい。彼があなたに与えた痛みを数え上げる代わりに、彼の思いやりについての夢を見ることを選択しなさい。彼の幻想について彼を赦し、彼から与えられたすべての助力に感謝しなさい。そして、あなたの夢の中で彼が完璧ではないからといって、彼からの数多くの贈り物を払いのけてはならない。
P757
救いの秘密は、「あなたは自分で自分にこれを行っている」ということだけである。敵や攻撃の役割を誰が担っていようと、依然としてこれが真理である。なぜなら、自分が夢を見ていることを知っている夢の中でなら、あなたもそこに登場する人影たちに対して、まったく反応しようとしないはずだからである。彼らにはいくらでも好きなように、憎々しく狂暴にさせておきなさい。これが自分の夢だということを、あなたが認識しそこなったのでない限り、彼らはあなたにどんな結果ももたらし得ない。
P766
自分で幻想を作り出したと知覚しているとき、誰もそれらを恐れはしない。恐れがしっかりと保持されていた理由は、自分が夢の作者であって夢の中の登場人物ではないということが、彼にはわからなかったからである。
ワークブック編
P65
攻撃的な考えを放棄することで、私は自分の見ている世界から脱出できる。
世界を嘆いても無駄である。世界を変えようとしても無駄である。それは結果にすぎないのだから、変わりようがない。しかし世界についてのあなたの考えを変えることならば、確かに意義がある。そうすれば、原因を変えることになるからである。
あなたは自分で作り出した世界を見ているが、自分をそうした形象の作者として見てはいない。あなたは世界自体から救われることはできないが、世界の原因から逃れることはできる。これが救済が意味していることである。
P71
あなた自身の考え以外の何ものも、あなたを攻撃することはできない。
P80
私が、自分の見ている世界を作り上げた。
それを見るも見ないも、あなたの望むままである。あなたがそれを望んでいる間は、それを見るだろうし、もはやそれを望まなくなれば、それがあなたに見えるものとしてそこに存在することはなくなるだろう。
私が、自分の見ているとおりのこの状況を作り上げた。
P82
心の平安とは、明らかに内面的な事柄である。それは必ずあなた自身の考えから始まり、そこから外へと広がっていくものである。世界についての平安な知覚は、あなたの心の平安から生じるのである。
P119
この世界が実在しないことに私は感謝し、自分がそれに価値を置くという選択をしない限りそれを見なくてもよいということをありがたく思う。
P443
私は未来を神の手にゆだねる。
P453
私の咎めだけが私を傷つける。
P470
自分のしていることのすべては自分自身に対して為されている。私が攻撃すれば、私が苦しむ。しかし私が赦せば、救済は私に与えられる。
P477
赦しは、兄弟から自分に為されたとあなたが思っていたことは、起こってはいなかったと認識する。罪を赦すことで、それを実在するものとして扱うのではない。罪は存在していなかったと見るのである。赦しは、罪をただ虚偽と見るので、それを手放すのみである。
P527
知覚は鏡であって、事実ではない。私が見るものは、私の心の状態が外に映し出されたものである。
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