プレゼンス(ルパート・スパイラ)全2巻 まとめ
- 2022/08/11
プレゼンス―第1巻 安らぎと幸福の技術
P32
私たちの自己は体や心ではなく、実際には気づいている存在、現存であり、それが体や心を知り、目撃する。
P69
映画の上映が始まったときにスクリーンが景色にはならないように、気づきである私たちの真の自己が分離した自己になることはありません。
P100
体験には、知るものと知られるもののふたつがあるのではありません。ただ純粋に体験することだけが存在します。気づいている現存である「私(I)」と体験とは、ひとつで同じなのです。
P163
私たちが対象物や世界について知っているのは、その知覚だけです。私たちが知覚について知っているのは、ただ、知覚することの体験だけであり、知覚に唯一現存する要素は、私たち自身の存在である、気づきだけです。
P177
皮膚が体のさまざまな部分を覆っているのではなく、気づきが、私たちが体と呼んでいる感覚のすべてを「包んで」いるのだということをはっきりと理解しましょう。言い換えるなら、気づきこそが私たちの真の体なのです。それが体だと私たちが感じているさまざまな感覚は、実際は、この制限のない、境界線のない、気づきの空間を自由に漂っているのだということをはっきりと理解しましょう。
プレゼンス―第2巻 あらゆる体験の親密さ
P141
主体的な体験者も、体験される客体も存在しません。一瞬一瞬、体験することがあるだけです。そして、気づきだけがこの体験の実質です。心、体、世界は気づきの中に映し出されており、気づきだけでできています。しかし、それらはあたかも気づきから分離していて、気づき以外のものでできているかのように映し出されます。
P156
宇宙のどこにも、いかなる時にも、個人的で分離した実体は存在しません。ですから、分離した個人が目覚めるという質問も存在しません。
P167
体、心、世界は、幻想です。しかしそれは、体験も幻想であるということではありません。体験は現実であり、その現実とは気づきです。私たちは自らが気づきであるということを親密に知っています。つまり、気づきはそれ自身が気づきであることを親密に知っているのです。
P245
思考を除外する必要はありません。思考はあなたの自己に何の変化ももたらしません。ただ思考が流れていくに任せて、あなたはあなたの自己であり続けましょう。
P291
自分は目撃者であると知る瞬間、私たちは、個人的な行為者も体験者もいないことを知ります。気づきの中に生じる思考や感覚、知覚があるだけです。かつては、行為者や体験者がいると想像されていましたが、それらは他のあらゆるものとともに気づきの中に生じ、目撃されている思考や感覚にすぎないことが理解されるのです。
P315
過去と未来、出現と消滅、誕生と死は存在しません。
P333
誰も、思考や感情といった反応を「選択」したり「所有」したりはしません。そうした反応は、他のすべてのものと同じく、ただ現れるだけです。そこには、所有したり選んだりする実体はいません。
現実のイメージ。意識(プレゼンス)のみが存在している。意識(プレゼンス)の中で体験のみが発生している。

映画のたとえ。スクリーンのみが存在している。風景や登場人物はスクリーンからできていて、スクリーン上で体験だけが発生している。

VRのようなイメージ。視覚から3次元空間を想像している。実際に存在しているのは見ることのみ。

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