今、永遠であること(フランシス・ルシール)まとめ
- 2022/08/18
P27
わたしたちは完全に条件づけられています。なので、自由意志はありません。自由に選択しているように見えますが、ただの自動装置のように反応しているだけです。個人としては、自由というのは幻想です。そうである一方、最も深遠なる存在の次元においては、わたしたちである自由からすべてが流れ出します。すべての思考と知覚は、わたしたちがそれを欲しがるために現れます。
P38
悟りを体験する者などいません。なぜなら、これは個という実体の不在にある対象化されない体験だからです。
P108
ふたつの精神機能、知覚と思考の区別によって、ふたつの異なる世界が創り出されます。物理的な世界と心理的な世界です。このふたつの精神機能の間に自分はあり、背景としてある、ということを理解する必要があります。どんな精神機能もそこから生まれ、そこに実在し、気づきというほんとうの自分であるこの背景に死んでいきます。
物理的な次元では、体の終わりに死があります。精妙な次元では、知覚や思考の終わりに、死は毎瞬訪れています。本源的な次元では、時のない連続性だけがあります。
客体を自分とすることをやめると、死はありません。
P122
広く信じられている物質主義から、わたしたちの体は世界にあり、わたしたちの頭脳は体の中にあって、この頭脳の一機能が意識であると条件付けられています。非二元の視点では、この図はまったくの正反対です。本源的な現実は気づきであって、この内に心があります。この体、この考え、残りの宇宙はすべて、心の内にあります。それでは、このふたつの立場のうちどちらが真実だと、どうやって決めるのでしょうか?わたしたちの論理的な装置である心では、この問いに対する答えを出すことはできないと理解することが大切です。心を超えたものを、心が知ることはできないのです。心が、自分では本源的な答えを見つけられないということを理解すると、静かになります。わたしたちの本質が自分を掴む可能性は、この静寂のうちにあります。自分では掴むことができません。ただオープンになり、迎え入れることしかできないのです。
P164
ほんとうの自分は永遠です。日常生活の毎瞬、わたしたちを呼んでいます。これに応じられるようにいること、自分の存在すべてで応じることが大切です。この招きが強さを増して感じられる特別な瞬間があります。朝起きてすぐ、夜、眠りにつく直前、恐れや願望が終わったとき、驚いたとき、踏み固めてきた道をはずれたことに気づいたとき。この貴重な瞬間を、眠りと目覚めの間の移行状態は特に、うまく使うべきです。考えや体感覚にオープンになり、自由を楽しみ、熟睡のもつ平穏の現存を近しく楽しむことができます。
P166
自我が差し出せる唯一の奉仕とは、わたしたちを放っておいてくれることだけなのです。
P199
自我がよりよい自我になることができるという思い込みに基づいているものはどんな方法でも、避ける必要があります。
P237
自分のよろこびを道しるべにしてください。すべてを自分のよろこびに選ばせてください。
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